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2009年3月31日 (火)

車椅子でのお花見、悲喜こもごも

P10006122 P10006113 皆さん、こんにちは。桜の季節になりましたね。今年の京都の満開は、早いのではと言われていましたが、3月の20日過ぎに思わぬ寒さに、桜も人間様もびっくりしました。勿論、開花も遅れました。3月29日(日)は、好天に誘われ、鳴滝の枝垂れ桜を見に行きました。予想通り満開でした沢山の見物客の車でした。高速道路の安い通行料金の関係か、他府県ナンバーの車が多く目に付きました。正に京都は観光シーズンの真っ只中です。3月も今日は終わりの31日、しかし気温も上昇しポカポカ陽気、家に引っ込んでいる手はない。満充電された愛車HONDA・モンパル(時速6k/h)電動カートに跨り、先ず友人宅を訪ねたが、忙しそうなので、話すのを遠慮して、神光院参道の桜を写そうとハンドルを切った。残念ながらまだ四分咲き位だった。天気は良い、初めての冒険で、少しばかり”遠う乗りしてやろう”と広いバス通りまで出て、ひたすら南に向かって時速6k/hで快走していた。少しお断りと、健常者の方にご理解願いたい事があります。三輪より四輪の方が安定が良いと思い購入したが、歩道を始めて走って始めて気が付いた事は、カートは歩行者並みと言われていますが、歩道は平坦で走り易いと思っていたが、全く反対で、左右に傾斜したり、かまぼこ型に成っていたりして想像以上に不安定で走り難い、私の様に左の上下肢に障害のある者は、不自由な左手は、不随意動が出て、急ハンドルが切れ危険なので右手で、しっかりとハンドルを握って、慎重に走行している。歩道には、無雑作に、自転車やバイクが置いて有ったりし、他に”ゴミ袋”等が置かれ、電柱が有ったりしたら最悪。通行不能になる。勿論、小さい子供を含む歩行者、自転車に乗った人が歩道を走る。危険が一杯ですから、私は、歩道の縁石すれすれに側溝の上を走る様にしている。自分が自家用車を運転していた55年間は、無事故・無違反・無失点で、発病で運転免許を返納するまで、三度のメシより好きな車の運転を諦め電動カートに乗ってからも、交通ルールは絶対に守って走行している。交差点での一旦停車・左右確認・後方確認(筋肉硬直で首が回り難いので左右のサイドミラーで確認、車には必ず先を譲る等々を遵守しているのに、今日は、最悪の侮辱と蔑みを受けた!「おい、こらっそんな物で、こんなとこ走るな、ぼけっ!」”おい、こらっ”呼ばわりされる様な走行をした覚えは何一つない”馬鹿にしやがって、悔しいやら腹が立つやら、しかし気を取り戻して片道約1.9kmの会社に着きました。息子夫婦や社員は突然行ったので皆、驚いていた。私は日常、出社する時は、息子の送迎で行くが、カートは、余程歩道の条件の良い所以外は、歩道縁石ぎりぎりを走り、車は、カートの人に驚異を与えないように、広い目に幅を空けスピードを落として走行してくれます。「おい、こらっ」なんて今まで唯の一度もなく愉快に楽しくカートドライブを楽しんで居たのに残念だ。

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2009年3月23日 (月)

車椅子野郎、放蕩す

P10005981 P10006031 暖かく快晴の3月21日、桜博士の佐野藤右衛門さんの植えた糸桜が、いち早く満開を迎えたと聞き、車を走らせ伏見の東濠川の側の弁財天で有名な、真言宗・長建寺へ写真を撮りに行きました。見事に咲いた糸桜(白い枝垂れ桜)何人かのアマチュアカメラマンが、シャッターを切っていました。気持の性か、大きさは違うが、枝ぶり何かは、円山公園や鳴滝の枝垂れ桜に良く似ている様に思えた。もう1枚の薄紅色の桜のトンネルが目に入った。伏見区南浜小学校の通学路だが、春休みで人の姿はなく静かだった。1日は少しさかのぼり、”割烹・みその”から「いい本モロコが入りました。炭火焼きでどうですか」と19日正午過ぎ、急遽今宵は”みその”に行くことになった。皿に並べられた”粒ぞろい(9~10㎝)の子持ちの琵琶湖産の本モロコ17.8尾”備長炭の赤々といこった焜炉で網焼きして、木の芽酢で食べる。なんとも美味い至福のひととき、毎年美しく咲き誇る桜を愛で、旬のものを食する、現在は体の半分は不自由で車椅子が必要だが、美しい物を求めては放蕩し美味しい旬の物を食する事に喜びと生きている素晴らしさを感じる。私を取り巻く多くの人々の温かい励ましと温かい手を差し伸べて下さっていることに心から感謝して日々を送らせて貰っています。ありがとう皆さん、本当にありがとう。こぶとり爺さん。o(;△;)o P10108262

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2009年3月14日 (土)

車椅子でも明るく楽しく

P1010808b  皆さんこんにちわ 。今年もこの桜、感狂うほど早く咲きました。毎年の事です。大きいですが実は鉢植えなんです。その上、”さくらんぼ”が一杯出来るのです。実が赤くなると”ひよどり”が必ずやって来ます。見張りをしていても平気で枝に止まり良く熟した実を食べ種を下に落として、悠々と飛び去って行きます。昨日3月13日は、私に取って「魔の9周年の記念日」で、今日は10年目の初日(1日目)であります。ちょうど今頃は救急救命室で、死線を彷徨っていたのです。当の私は意識不明で何も定かに覚えて居りません。どの位の時間が、経過したのでしょう??何だか変だなあと意識朦朧とした中で、余りの大きいショックで、言葉も涙も出なかった。日・時間が混獨して、何時間後か曖昧だが、心労の為、「声・言葉が出なく成った」女房に、”済まん、御免”と手を合わせようと思ったら左手(腕)がない。俺の左手がない変だなあ~「俺の腕・左手が無い」・・・そこへ看護婦(看護師)さんが病室に入って来て、仰向けに寝ている自分の背中の下に巻き込む様に下敷きになっている手を出して、「左手大切に、忘れんといたげてや」と胸の上に置いてくれた。その時に、左半身が麻痺しているのに気が付いた。「変やッ、えらいこっちゃ」もう声が詰まって言葉にならず、溢れる涙は止めどなく頬を流れ落ち、暫くは放心状態?やゝ時間を経て、何も出来ない!寝返り、ベッドに起き上がる事も出来ず悲嘆のどん底・・・奈落?地獄へ真っ逆さま、ショックてなものではない。入院初期から始められていた早期リハビリのお陰か理学療法士さんの特訓で、ベッドに起き上がり、ベッドの柵を右手でしっかり持って、ダラリと垂らした両足(患足=左が麻痺)を床に下ろして直立練習・ベッドに腰掛け寝る練習を重ね次に、車椅子を側に置いてベッドから降りて車椅子に乗り移る練習をした。車椅子に乗れるようになり、体力も付いて来たので、愈々本格的なリハビリ治療を受けるため、看護婦さんが、3Fの病室から1Fのリハビリ室へ連れて貰い、歩行の基礎的な訓練を受け、終了したら病室に戻った。何時も戻った時は、女房も息子も来ていない。病室(個室)を片手、片足で転がしながら回っている内に、自分の変わり果てた姿を想像して、物凄く、口惜しく、悲しく無念残念な思いに沈み込んでいたら息子達が来た。「病気に成った事は悔やんでも仕方ない、商売・仕事、会社の事は心配するな、病気と前向きでリハビリに専念してくれ」と励ましてくれた。正直言って鬱症状か”死にたい”孤独な時間は、真剣に自殺を考えた。然し女房は自分の受け持った仕事を済ませ一日も欠かすことなく病院に来て晩ご飯を一緒に食べてくれた。帰りは息子が嫁と孫を乗せて毎晩面会時間一杯まで居てくれた。仕事の事を中心にその日の出来事を詳しく報告してくれた。娘も足繁く来てくれ、廊下の手摺りに掴まって歩行訓練を一緒に歩き、或る日横歩き(蟹歩き)の時、足が、縺れ転倒寸前、娘に抱かかえられ助かった。女房の二人妹も、入れ替わり立ち替わり一杯の花を持って来てくれた。ベッドの周りは常に、新鮮な花々だった。病室の特殊な臭いを消す為に、百合の花(カサブランカ)を枯れさすことなくしくれた。私のベッドは花壇の様だった。見舞客も想像以上に多く、ナースセンターでは、”あの人、芸能関係?””大会社の社長さん?”と噂されていた様だが、或る日ナースさんの一人に聞かれたので、私は、きっぱり言った。「全然、そんな、えゝもんと違う、ただのおっさんや」救急病院の為、長期リハビリ治療の為、転院する事になり、45日間、お世話に成った病院を、多くの人の温かい励ましと愛情に支えられて退院の運びとなりました。最後にナースセンターを訪ね、お礼を言おうと敷居を跨いだ途端、胸が一杯にに成り、涙が溢れ言葉に成らなかった。ふと気が付いたら、車椅子に乗らず、杖を片手に歩いて車に乗り病院を後にして、娑婆が見たいと、息子に言って、京都市内を回り、これからお世話になる、自宅や会社の近い病院に到着。リハビリ治療を受ける。 続きは次回・・・こぶとり爺さん。

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2009年3月 3日 (火)

車椅子でも明るく楽しく

P1000407a3 皆さん、こんにちわ。またまたご無沙汰致しました。今日は「こぶとり爺さん」写真を、ちょっと”置いといて”別のお話です。私は、ご存知の通り脳出血で左半身に後遺障害が残り、車椅子生活を余議なくされ本年3月13日で丸9年に成り14日から10年目に入ります。救急救命センターに搬送され、個室に移され2週間は意識不明~意識朦朧とした状態から覚めて自分の左半身が麻痺し”体半分無くなった”一瞬ショックで、声も涙も出なかった。家内も心労からか声が出なく成っていた。”えらいことになった””すまん、御免”と合掌しようにも自分の左手が何処にあるか解らない。仰向けになった背中の下敷きに成っているのが解らなかった。一つ一つ今まで出来た事が全く出来ない、悲しく、悔しく、残念・無念、現実を知ったとき始めて”ど~っと”涙が込み上げてきた。奈落の底に突き落とされた。これ程、惨めで辛くその悲しみは筆舌では表現出来ない。完全な鬱状態”死にたい””死んだ方が良い”等と気弱に成っていた。私の背中を叩き力強く励ましてくれたのは息子だった。初期の内からベットの上でリハビリが行われていたので7~10日目と記憶するが、自力でベッドに起き上がり車椅子に乗り移る事が出来た。その頃に息子が、「会社の事は、何も心配せんでよい。親父の仕事は(考える事は)成った事を悔まず前向きでリハビリに励んでくれの言葉に後押しされ、家族・社員・友人に元気付けられ、京都第二日赤病院に45日間・会社、自宅近くの富田病院に転院し65日間合計110日間入院し毎日、午前中は、作業療法、午後は、運動療法とリハビリ三昧、退院の時は、杖歩行が出来る様に成りました。障害度2種・3級の、れっきとした障害者です。私は現在『ひこばえ』と言う障害者のグループに入っています。皆さん2~4級の方です。30名ばかりの”小じんまり”したグループですが、皆さん明るく前向きで、それぞれ豊かな趣味をお持ちで、毎月第二土曜日は、月例会を高野川畔の京都府立身障者スポーツセンターで、お茶しながら、催し物の相談をしたり、情報交換をしたりしています。年中行事は、新年会・お花見・ビアーパティー・バスツアー等を致しています。然し悩みの種は、高齢化に依る会員減少です。皆さんご存知の方で、おたく族で、友達もなく、無意味に時間を過ごして居られる方がいらっしゃいましたら、同じ病気で、同じ悩みをお持ちの方臆せずご入会下さい。お会いして詳しいお話をさせて頂きます。コメント頂ければ幸甚に存じます。         写真の説明。『昨年10月22日・全国脳卒中者の集い・熊本大会』に出席し翌日、熊本城や、阿蘇観光に行った時、阿蘇草千里をバックに、真ん中が会長の名越 道弘氏・右は、広報担当・副会長の瀧本 清彦氏・左は、事業&企画担当・副会長の稲葉 三郎です。     良き御一報をお待ちしています。

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