« 車椅子でも明るく楽しく | トップページ | 車椅子野郎、放蕩す »

2009年3月14日 (土)

車椅子でも明るく楽しく

P1010808b  皆さんこんにちわ 。今年もこの桜、感狂うほど早く咲きました。毎年の事です。大きいですが実は鉢植えなんです。その上、”さくらんぼ”が一杯出来るのです。実が赤くなると”ひよどり”が必ずやって来ます。見張りをしていても平気で枝に止まり良く熟した実を食べ種を下に落として、悠々と飛び去って行きます。昨日3月13日は、私に取って「魔の9周年の記念日」で、今日は10年目の初日(1日目)であります。ちょうど今頃は救急救命室で、死線を彷徨っていたのです。当の私は意識不明で何も定かに覚えて居りません。どの位の時間が、経過したのでしょう??何だか変だなあと意識朦朧とした中で、余りの大きいショックで、言葉も涙も出なかった。日・時間が混獨して、何時間後か曖昧だが、心労の為、「声・言葉が出なく成った」女房に、”済まん、御免”と手を合わせようと思ったら左手(腕)がない。俺の左手がない変だなあ~「俺の腕・左手が無い」・・・そこへ看護婦(看護師)さんが病室に入って来て、仰向けに寝ている自分の背中の下に巻き込む様に下敷きになっている手を出して、「左手大切に、忘れんといたげてや」と胸の上に置いてくれた。その時に、左半身が麻痺しているのに気が付いた。「変やッ、えらいこっちゃ」もう声が詰まって言葉にならず、溢れる涙は止めどなく頬を流れ落ち、暫くは放心状態?やゝ時間を経て、何も出来ない!寝返り、ベッドに起き上がる事も出来ず悲嘆のどん底・・・奈落?地獄へ真っ逆さま、ショックてなものではない。入院初期から始められていた早期リハビリのお陰か理学療法士さんの特訓で、ベッドに起き上がり、ベッドの柵を右手でしっかり持って、ダラリと垂らした両足(患足=左が麻痺)を床に下ろして直立練習・ベッドに腰掛け寝る練習を重ね次に、車椅子を側に置いてベッドから降りて車椅子に乗り移る練習をした。車椅子に乗れるようになり、体力も付いて来たので、愈々本格的なリハビリ治療を受けるため、看護婦さんが、3Fの病室から1Fのリハビリ室へ連れて貰い、歩行の基礎的な訓練を受け、終了したら病室に戻った。何時も戻った時は、女房も息子も来ていない。病室(個室)を片手、片足で転がしながら回っている内に、自分の変わり果てた姿を想像して、物凄く、口惜しく、悲しく無念残念な思いに沈み込んでいたら息子達が来た。「病気に成った事は悔やんでも仕方ない、商売・仕事、会社の事は心配するな、病気と前向きでリハビリに専念してくれ」と励ましてくれた。正直言って鬱症状か”死にたい”孤独な時間は、真剣に自殺を考えた。然し女房は自分の受け持った仕事を済ませ一日も欠かすことなく病院に来て晩ご飯を一緒に食べてくれた。帰りは息子が嫁と孫を乗せて毎晩面会時間一杯まで居てくれた。仕事の事を中心にその日の出来事を詳しく報告してくれた。娘も足繁く来てくれ、廊下の手摺りに掴まって歩行訓練を一緒に歩き、或る日横歩き(蟹歩き)の時、足が、縺れ転倒寸前、娘に抱かかえられ助かった。女房の二人妹も、入れ替わり立ち替わり一杯の花を持って来てくれた。ベッドの周りは常に、新鮮な花々だった。病室の特殊な臭いを消す為に、百合の花(カサブランカ)を枯れさすことなくしくれた。私のベッドは花壇の様だった。見舞客も想像以上に多く、ナースセンターでは、”あの人、芸能関係?””大会社の社長さん?”と噂されていた様だが、或る日ナースさんの一人に聞かれたので、私は、きっぱり言った。「全然、そんな、えゝもんと違う、ただのおっさんや」救急病院の為、長期リハビリ治療の為、転院する事になり、45日間、お世話に成った病院を、多くの人の温かい励ましと愛情に支えられて退院の運びとなりました。最後にナースセンターを訪ね、お礼を言おうと敷居を跨いだ途端、胸が一杯にに成り、涙が溢れ言葉に成らなかった。ふと気が付いたら、車椅子に乗らず、杖を片手に歩いて車に乗り病院を後にして、娑婆が見たいと、息子に言って、京都市内を回り、これからお世話になる、自宅や会社の近い病院に到着。リハビリ治療を受ける。 続きは次回・・・こぶとり爺さん。

|

« 車椅子でも明るく楽しく | トップページ | 車椅子野郎、放蕩す »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/153858/44346102

この記事へのトラックバック一覧です: 車椅子でも明るく楽しく:

« 車椅子でも明るく楽しく | トップページ | 車椅子野郎、放蕩す »